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『After Devil Force~狂王の後継者~』は1998年8月にWindows95&98対応のゲームとしてコンパイルより発売された、戦術シミュレーションゲームです。本ブログはその原作者による小説版となっております。
「その先、十字路を右に回ってくれ」
吹雪と夜に静まり帰った街をしばらく進んでいくと、馬車の前部にある指示窓からエスクは目を出してラデュスに伝える。
「わかった」
「え?」
胡乱げな表情をして見せたのはカシスだった。
その出自や立場からいって、下々の事情に通じているわけのないカシスであっても、馬車の向けられた先に何があるかぐらいは知っている。
「怪訝そうだな。カシス」
「ええ、まあ……」
一路、馬車はネフィル最大の歓楽街と言われる”天雫街”と言われる界隈を目指しているとしか見えない。
「大丈夫だ。いくら俺だって、こんな状況で遊ぶつもりはねぇ」
「ちょっと、残念だがな」 背後での会話を聞いていたらしいラデュスが口を挟む。
前方に見える”天雫”の街並も、さすがにこの異常気象としか思えない悪天候の中では、さすがに人通りは絶えてしまっている。それでも、いや、だからこそなのだろうか、吹雪きの中に浮かぶ紅灯は、白く染まる夜景の中でいつにも増して煌煌と燈っているように見えた。
「なら、どうして?」
当然の疑問をカシスは投げかける。同じようにエスクに非難がましい目を向けているパルティアも合わせて彼は二人の疑問を受けとめた。
「まあ、お前が知らんのも無理はないがな。どこの街でも娼街ってのはな”公界”って言って、公権力とは離れているもんだ」
エスクはカシスに試験の山場を教えるときのような表情で説明する。
「いろいろ理由はあるがな。一言で言っちまえば、”必要悪”の巣窟にいちいち構っているより、一つところに囲んで、その中で自治権与えて揚がりだけ受け取っておいた方が効率がいいってわけだ」
元々が”必要悪”の固まりのような場所柄だけに金銭、治安、縄張り、薬物などもろもろのトラブルの発生率も高い。そのため歓楽街の治安や法規を国側が維持するには、無意味なほど大量の人員と資金を割かねばならなくなる。それであるならば自治権を与えて”暗黒街なりの秩序”を守らせ、多額の税金だけを納めさせたほうが余程効率がよいのだ。
たいていの場合、そういった歓楽街はいくつかの”黙認されている非合法組織”が取りし切っている。もちろん、彼らの間での争いやトラブルが絶える事はないが、一般市民に危害が及ぶような事は無い。危害が及べばさすがに治安当局も動くであろうし、なにより客が離れてしまえば困るのは彼らだ。
「つまり内の自警団と外の市中警備隊は、まったく指揮系統も組織も違う。互いに不干渉が不文律でもあるし、市中警備隊のほうは自警団の存在を蔑みきっているから決して協力的になることはない。だから、こうやって両者の管轄を横断して、少しでも脱出の足跡を辿ることを困難にしようという」
「いわば小細工さ」
エスクの説明に、前からラデュスが茶々を入れる。
「まあな。だいたい、犯罪者とかが逃亡するときに常道として使う手口だよ」
エスクは苦笑しつつ、説明を終えた。
やがて近づいていく“天雫”の入り口は、艶めかしい女神たちが舞う姿が描かれた華麗な門になっている。門の大きさは、さすがに東フォーリスきっての大都市であるネフィル最大の歓楽街だけあって、横に馬車を5台連ねても通れるほどの大きさだ。街の周囲は、薄紅色という華麗な色で装飾された金属製の垣が取り囲んでいる。一見装飾にすら見えるが、良く見れば人の2倍もの高さであるし、装飾に洗練しつつも垣そのものが人が乗り越えられないような工夫を凝らされているのだ。華麗に装われていようとも、それらの垣の本来の役割は娼婦たちや奴婢たちを逃がさぬためのものであるのだ。
いつもは貧富の別なく、人それ相応の快楽と欲望を飲みこもうとするがごとく、門からすでに賑わっている光景が見られる筈であった。
しかし、今は夜だというのに人通りを絶え、門の前には外套の重ね着で着膨れした歩哨たちがいるばかりであった。
努めて、ただでさえ寒さで勤労意欲が失せている歩哨たちを刺激せぬよう、馬車の歩みを緩めて門を抜ける。
「カシスはこんな所へ来るのは初めてだよな」
「当たり前です!!」
と抗議の声を挙げたのはパルティアのほうであった。
「まあ、そんなに毛嫌いするものでもないさ。みろよ、ここにはある意味ネフィルの文化の粋があるのだぜ」
天雫の街は他のどの街とも赴きを異にしている。
”千の塔の都”と言われる、当時にあっては珍しいほど高層建築物が多いネフィルであるが、その建築芸術がもっとも花開くのは、ラウルの王宮である湖上宮殿”水遥宮”でも連合王国の聖地であるネフィス神殿でもなく、ここであると言う建築家もいるくらいだ。壮大さや洗練には無縁だが、常に時代時代の流行に合わせて客たちに自らの存在を誇示せんと、娼館や酒場、劇場、などなどあらゆる歓楽施設が軒を連ねているのだ。
例えば、世界各国の建築様式を混ぜて建てられた娼館があり、そこでは各国の服装を身にまとった女や男たちと一夜の快楽を得る事ができる。例えば、漆黒の闇に完全に解けこむ館がある、そこは灯火など一切の光は拒否され、無明の闇の中人々は相手の姿を見ぬまま出会い、一時の情事を楽しむことになる。例えば、とある劇場では役者たちはまったく姿を現さず声だけで劇が演じられる、その声の演技はいかなる音響効果か魔道の技かはわからぬが、どの席にあってもあるときは耳元で囁くように、あるときは遠くから叫んでいるようにと演出によって効果的に使い分けられた声や音を聞く事ができるという。
晴れた日なら、中央の大路には露店や大道芸人たちや街娼たちが並びそれだけでも見飽きぬ盛況を見せていたろう。また毎月新月の夜には各劇場の役者や舞姫たち、格式の高い娼館の選りすぐりの高級娼婦たちなど、天雫の煌びやかな宝石たちの行列が魔道による色とりどりの光の中、大路を練り歩くという”天より雫降る夜”と呼ばれる壮麗な行事が催されるのだ。
「とまあ、ここはここで技術、魔道の粋を凝らした文化が花開いているというわけさ」
得意げに”天雫”について講義しつづけるエスクの話をカシスは、興味深げにきいていた。いったいそれがどのような興味なのか、その表情からはいっこうに窺い知れないのが今ひとつエスクには不満ではあったが。
外を見ると、さすがに歓楽街だけはあり、らと同じように馬車を走らせてはどこかの曖昧宿か娼館へとしけ込もうとしている者たちの姿を見うけることができた。ある程度、彼らの姿は目撃されているだろうが、まったく怪しまれている様子はなかった。というよりも、まったく目立たぬ拵えのどこにでもある馬車である、しかもこの吹雪の中だ何を怪しめばよいというのであろう。
強いて言えば、御者であるラデュスの雄偉な体躯が挙げられるが、それは本人も自覚しており頭から防寒衣を被って極力身を低めている。
「ま、俺も通ぶっちゃいるが所詮は貧乏学生さ。そんなに粋な遊びをしていたわけじゃねえけどな」
名残り惜しげに紅灯の街並みを見渡しながらエスクは言った。
「いいんですか? もう、ここへは遊びにこれなくなりますよ」
そんなエスクをカシスはそう言ってからかう。
「そうでもないさ。そのうち、この俺以上に残念がっている兄ちゃんと一緒に、堂々と繰り出す日も来るだろうさ」
「……脳天気な事言いやがる」
エスクのいい気な放言に、呆れを含んだ苦笑でラデュスは答えた。
※
「さて、第一の難所かな」
と、エスクは大して緊張した様子もなく呟いた。
ネフィルの東に位置する”天雫街”の街路を抜けると、やがてネフィル市城の東大門がその威容を現わす。さすがに郊外の衛星市街の人口も合わせると百万の人口を抱える大都市ネフィルの防衛を司る門と街壁だけはあり、”天雫街”の垣とはまったく規模の違う巨大な建造物だ。
城門を守るべく両脇に立てられた塔は、5層の高楼であり城壁はそのうち3楼のあたりまで達している。城壁には一面、白亜の光沢を醸し出す塗料が塗られているが、それは決して景観のためのものではなく、城壁に上ろうとする外敵が登ろうとするのを防ぐためのものである。城壁は上部が馬車はさすがに無理だが人が往来する道路並みの厚みを持たされており、戦いの時は城壁がそのまま防衛の拠点として活用されるように造られている。
フォーリス屈指の大都市ネフィルの東大門は軍事的脅威が迫ったときに閉ざされた場合、その人の背丈ほどもの厚さ魔導処理された金属性の降り扉は東の魔導大国コーネルらの魔導師部隊の攻撃にすら耐え得るほど厚く強力に造られている。そして扉の大きさは幅は百騎の騎兵が横隊で突撃できるほどもうり、高さは塔の2層に達するほどのものとなっている。
とはいえ大都市というものは、基本的に軍事的には強力に造ろうとする反面、警備として甘さが残るように作らるべきだという考え方がある。外敵からは身を守るための軍事的な防備はしっかりと造るが、門は夜半にあっても閉ざされるべきではない。都市は清濁を併せ呑むように造らねば、決して発展する事はないという論理である。
少なくともラウルの国都ネフィルはそのような思想で造られており、普段の城門は夜中になっても門は閉じられず、一個中隊程度の歩哨が基本的な警備を行なうぐらいの警備に留められている。もちろん、表面は無防備にすら見えるネフィルだが、総兵力1万余を数える市中警備隊が都市の治安を守っており、”千塔の鴉”と呼ばれる魔導師たちも含んだネフィル専門の諜報機関が他国の諜報機関の活動に対抗している。そして都市には東方の魔導大国コーネルには及ばぬものの強力な魔導結界が貼られ魔導力の動きを監視しており、魔導師たちによる犯罪やテロに備えているのだ。
「しかし、どーも、いつもと様子が違う……か?」
エスクは大門の様子に何か不審を抱いた。己を常に”軍師”に擬していたこの男は、常に自分が感じる疑念に忠実であろうと努めている。可能な限り違和感を捉え、その違和感の所以を調べ、必要とあれば対処する。”軍師”たる者、ささやかな違和感をどれだけ感じ取れるかが重要な資質の一つであると彼は自分なりに思っている。
「ラデュスさんよ、少し馬車を緩めてくれ」
と指示すると、エスクは馬車の窓から少し顔を出して大門の方を覗った。
「少し警備兵の数が多いようだな、ちょっとした検問のようだ」
エスクは観察した結果を、周囲に聞えるように言った。それに反応したのは御車席のラデュスであった。
「もしかしたら俺のせいかもしれん」
「何故だ」
「こっちに来るとき、馬で一気に押し通った。急いでたからな」
悪びれもしない。彼にとってみれば、密使としての役目を果たしたつもりではあるが、その辺で無頓着なあたり実に職務に適性がないようだ。
「たぶんそれだ。恐らくまだ正体は割れてなく、とりあえず警戒を強めたってところだろうな。それに悪天候での事故などなど備えて少し警備を強めているのだろう」
「それは、少しよくない状況のようですけど大丈夫ですか?」
素直にカシスは懸念を口に表した。このようにカシスが自分の懸念を言葉に出したとき、エスクはそれを自分を試されていると受け取って、すかさず負けず嫌いじみた態度で次のように応えるのだ。
「大丈夫だ。俺に任せてくれ」
そうした傾向がすでに修士館時代からあったのだが、こういったやりとりの呼吸は終生この主従の癖となる。
「カシス、さすがにお前は隠れろ。お前は常に城門の兵に手配が行っている身だからな」
「そうですね。わかりました」
とエスクは遠慮もなしに、カシスを馬車の底にある積荷倉庫へと押しこめる。長旅に備えた荷物でそこは狭苦しい事この上なかったが、カシスも従順にそれに従う。カシスは修士館の時代から自分が助言を求めた場合、どんな事でもエスクの指示には言われたまま素直に従うようにしていた。そうやって修士館でも、大小の危機を乗り切ってきた経験が彼をしてそうさせるのだ。
(まったく、お前はいい王になれると思うぜ)
エスクはそんなカシスを、軍師にとっては非常に使えやすい主であると評価している。エスクがクォーダに押しかけ軍師なろうとしている理由の一つには、彼なりにカシス・クォーダという14歳の少年の君主としての器を買っているという事も確かにあったのである。
馬車の小窓はいずれも小さいので、中を改められるような事態にならない限りはカシスの姿が発見されることはないだろう。
「早速、パルティアさん。あんたを使わせてもらうぜ」
と、エスクは席を立ち、パルティアの隣へと座って、親しげに彼女の肩に手を回した。
「な、何をするんですか!?」
エスクの指が彼女の肩に触れると、パルティアはビクリと反応して、嫌悪の目でエスクを睨みつけた。この男はこんな状況で何をしようというのか?
「騒ぐな」
肩に回された手を振り払おうとするパルティアを、エスクはいつもの飄然とした顔からは想像もつかないほどの冷酷な目でパルティアを睨みつけた。
(この人……)
その目にパルティアは素直に恐怖心を感じた。殺気すら混じり、自分の”作品”を邪魔する者は絶対に許さない偏執狂じみた狂気を感じさせる目が彼女の抵抗を封じた。
「パルティア、エスクさんの言う通りにして。この人は、こういうとき”だけ”は真面目な人だから」
カシスは下からパルティアに。その一言でパルティアは自分の動揺が収まったような気がした。
「その髪はちょっとそぐわねーな、外すぜ」
エスクはパルティアの侍女らしい清潔感を感じさせる結い上げた髪を解く。どこで学んだかは指摘しないほうがいいだろうが、彼は妙に手馴れた手つきで髪留を外して女の結い髪を解いていく。
宵闇の中、パルティアのクォーダ人らしい見事な金髪が解け、雪明かりに映えて白金色が辺りに広がった。結っていたせいでウェーブがかって広がる髪は、驚くほどの艶やかさをパルティアに彩った。
「よーし、色っぽいぜ。あと、少し服は肌けたほうがいいだろう」
半分、策に乗じてやりたい放題しているように見えるが、策謀を効かすならどんな細かい部分でも凝るのが彼の主義であり、そのためには人の都合など忖度しない。
「……いったいどういうおつもりですか?」
言われるままエスクに従いながら、パルティアは堅い表情のまま問うた。
「俺は修士館の学生の恰好のままだからな、不良修士が女引っ掛けての夜遊びって事で、なんとかしてみるさ。だからよ、も少し色っぽく親しげに頼むぜ」
いつもの人が悪いことを誇示するような笑いでエスクは答える。
「役得だな」
とは御車席のラデュス。小窓から覗った髪を下ろしたパルティアの艶姿に感嘆の意を洩らしたらしい。
「まあな。御車さんよ、まさか面は割れてないだろうがあんたの場合、容姿からして目立つからしっかり外套で顔隠して、できるだけガタイも目立たないようにしてくれよ」
「ああ」
テキパキと”演出”を凝らし、指示を進めていくエスクに感心しながらラデュスは彼の指示を聞いた。そして、もう一つエスクは追加していく。
「……あと、いつでも血路を空けられるように備えてな」
「注文の多い奴だな」
「あんたを見こんでのことさ」
すがにラデュスは若いながら歴戦の兵だけあって、”軍師”の策に対して変な機転を利かそうとは考えずに愚直に従ったほうが良い事を経験的に知っている。
さっきまでの歩調とはまったく異なり、ゆっくりと雪景色を楽しむ客を乗せた流しの馬車といった風情で歩を進めさせる。とはいいつつ、護身のために馬車に装備されている小銃に弾を装填して、いつでも中から狙撃できるように隠れて構えているあたり、この男の油断ならないところである。
「こんばんわっと。寒いのに大変ですねぇ」
窓から顔を出して、エスクは敢えて自分から歩哨に声をかけた。一見なにげない動作に思えるが、御車や馬車の中身ではなく自分に歩哨たちの注意が向けられるように仕向けたのだ。もちろん、窓から見えないところで小銃の銃口を馬車の扉越しに歩哨に向けているのは言うまでも無い。
「ああ、まったくだ。お前らのような不心得者がいるせいでな」
「なんかあったんすか?」
「ああ? 大した事じゃねえが、ちょっと前に馬で門を無理矢理押し通ったバカがいてな。とりあえず検問張ってるってわけだ」
「へえ、こんな日に迷惑な話なこってすねぇ」
と呆れたようにエスクが言うと、前で身を縮めている御者は密かに肩を竦めた。
「一応聞いとくが、身分と名前は?」
「エスク・ガノブレード。言うまでもなくクルーネアの修士です、ほい学生証」
余談だが、エスクがこの不良修士にしては意外に律儀にいつも学生証を持ち歩いているのは、顔が老け顔だけにいろいろな場面で修士と信じてもらえないような事態が発生してしまうという哀しい事情があった。
歩哨は学生証を確認したあと、エスク傍らの女に目をつけた。というよりも、あえて見せつけるように肩を抱いていたのだが。
「そっちの女は?」
「野暮言わんで下さいよ、ちょいとそこでね」
とエスクはパルティアを自分の胸元に抱き寄せ、彼女の懐に手を突っ込んでやわやわと愛撫するのを見せつけた。一瞬、危うく嫌悪感を全身で表面化しそうになり、辛うじてパルティアはなんとか歯を食いしばって耐えた。その苦悶の表情が辛うじて男の愛撫に応じているように見えなくもなかったので、エスクは内心ホッと胸を撫で下ろしていた。
本来、小柄である事が職業上でも有利な筈なのに妙に大柄で逞しい御者。よく観察すれば荷物が多すぎる馬車。一度不審を抱かれれば、あまりに怪しい部分を持ち過ぎている一行からエスクはなんとか、自分たちに歩哨の注意を集中させねばならなかったのだ。
「ちっ、いい身分だな。貴様ら修士は」
本当に不快そうな吐き捨てるような表情と声音で歩哨は言った。歩哨にしてみれば、こんな不愉快な奴はもっと難癖つけてやりたいのだが、クルーネアの修士たちは将来の軍や政府の幹部候補生であるし、貴族の子弟たちも多い。そのため、どこでどのように自分たちの上司と繋がっているやもしれず、忌々しく思いつつもそれ以上の追求はできなかった。となれば、とっととこの不愉快な一行を視界から離れさせるにしくはなかった。
そして、それこそがエスクが狙っていた感情そのものであった。
「えへへへ」
と、エスクはいかにも軽薄そうな表情をしてみせた。その奥では
「とっとと、行けよ。目障りだ」
「へい、おい行ってくれ」
馬車の奥に引っ込んで、エスクはパルティアに覆い被さるようにして、馬車の長椅子に彼女を。このクソ寒い中で働いている彼らにとってみれば、もはや目も向けたくない事だろう。
(もう少しだ、やつらの視界から消えるまでの辛抱だから、耐えてくれよ)
(……)
一見、濃厚に縺れ合ってように見える二人は、
※
「ちょっと、いいですか?」
城門を越えてほっと一息をつくエスクにこう声をかけたのはパルティアだった。なんの事はない、自信ありげに見えていたエスクだがそれは自身の策謀に対する誠実───自分で自信を持てない策謀になんで人が従うだろう───といったものであり、本当はもっとも気が気でなかったのは彼自身であったのだ。
「ん? ああ。さっきはすまなかったな。協力感謝する」
と、まだ興奮冷め遣らぬ体のエスクは
そのとき、一瞬、破裂音にも似た音が辺りに鳴り響く。
パルティアの平手打ちが正確にエスクの頬に決まった音であった。そして彼女は間髪を入れずに表情をいつものような人当たりのいい微笑みに替える。
「おかげで、無事市外へと出ることが出来ました。ありがとうございます」
「ま、とりあえず最初の仕事は成功したって事でな」
エスクもまあこれぐらいの反作用は仕方ないとして、罰と礼を受け入れた。
「なあ、二人ともよ。とりあえず一件落着したとして、一つだけ忘れてないか?」
屈めていた腰を伸ばしながら御者席のラデュスが、二人にむかって忠告する。
「あ……」
エスクとパルティアの、そして視線もまた床下の荷物倉庫の扉へと一致して重なった。
※
このまま無事にラウルを出られるとは誰も考えておらず、残念な事にそれは現実のものとなった。
ネフィルの城門を抜けても、そのままネフィルは”城外”の街並みが続く。百万都市ネフィルとは、城内だけではなくその周囲の衛星市街も合わせた総称なのだ。
その市街の街並みが途切れて、まさに郊外へと出ようとするときにはすでに夜明けも近くなっており、さすがにネフィルという都市の巨大さを感じさせる。
おそらくは後から彼らが離れるあたりを計算して待ち伏せていたのであろう。
一行の馬車の前に、十人ほどの黒づくめのフードで顔を隠しマントで身を覆った者たちが立ちはだかった。黒衣に正体を隠した者たちは、先にラウルの紋章である”三巴竜”を銀で象った杖を持っている。
決して衆目に曝されることはないが、彼らの存在はネフィルに住む者であったなら誰でも知っている。
「”千塔の鴉”どもか……」
前述した、ネフィルの諜報部隊の名だ。
「今度は小細工の通用する相手でもないようだな」
エスクとラデュスは窓越しに小声でこんな会話を交わした。
「失礼ですが、クルーネア修士館修士エスク・ガノブレード殿ですな」
意外なことに、誰何されたのはエスクだった。
(カシス。無駄かもしれんが、取り合えず身を隠していてくれ)
(解かりました)
カシスは応えるとパルティアの蔭に隠れるように身を竦めた。
(もしかして、まだカシスの脱出というところまでは知られていないのか? ならばどう言い逃れる? それとも……)
頭の中で目まぐるしく思考を巡らせながらエスクは、馬車を降りた。
「寒ッ」
雪を舞い上げる風が一陣吹き抜けた。(ほう、もう明るくなってきてら。早いもんだな)、舞い上がる雪を目で追う、東から薄く明かりが射し始めているようであった。風に乗った雪はその光に向かって吸いこまれるようにも見え、なかなかに興のそそる光景を展開していた。
「もう一度お聞きするが、クルーネア修士館修士、エスク・ガノブレード殿ですな」
心ここにあらずな体を見せるエスクに対していらだつように”千塔の鴉”の隊長格らしい魔導師が重ねて尋ねた。
「くどいなぁ、何度も繰り返すなよ。そうだとしたらどうなんだ?」
「お尋ねしたいのですが、このような時刻に何処へお出でですかな。しかも、クォーダの公子宮から出てきてとは、いったいいかなる事情でございましょうかな?」
エスクはその隊長格のほうにつかつかと近づいて顔を覗きこんだ。一切の表情を映さない、手練の諜報員と言えば聞えはいいが要するに国家組織の末端ですっかり身も心も手駒と化した、つまらないある種の小役人面がそこにあった。
「なんつーか、無粋するお役人さんだちですなぁ」
「……少し、そこまでご足労願い、お話をお聞かせ願う事になりそうですな」
蔑むようなエスクの声音と表情に一切の動揺を見せず、さりげなく”鴉”は拉致と拷問をちらつかせた。
「まあまあ、そう言わないで。公子宮に泊めてもらったらよ、そこの侍女と懇ろになってですなぁ。一緒に朝帰りってわけと言ったら信じる?」
エスクは男をなだめるような声音に一瞬の油断があったのは仕方がないだろう。何しろ、エスクは単なる修士でありその戦闘力も修羅場での胆力でも、本職の諜報員に何一つ及ぶものはない筈だからだ。
しかし、そうは言っても、彼の首筋を深々と抉った刃の傷が作られた事に葉変わらなかった。エスクは媚びを売るような笑顔を浮かべたまま、懐に隠し持った短刀で”鴉”の首を思いきり抉ってのけたのである。
「ラデュス!! 任せた!!」
倒れ伏す”鴉”から返り血を浴びるのを厭うようにエスクは素早く飛び退きながらそう叫んだ。そのエスクの顔には会心の笑みが張りついており、その顔に”鴉”の首から吹き出る血の飛沫が数滴飛びついた。その会心の笑みはエスクにとって、自分が大した感情の動きもないままに、他人を謀殺してのける神経を持ち合わせていた事を確認できた事についての笑みであった。
「ふん」
エスクの叫びよりも先にラデュスは行動を開始していた。雪の中でもラデュスは正確にエスクの行為を観察していたのだ、そのクォーダで2番目に優秀な狙撃手でもある彼の視力は、エスクの片手が妙な気配を漂わせていたのを見逃さなかったのだ。
邪魔な外套を跳ね除ける。薄明かりと雪で白を基調とした背景に、鮮やかなほどその露になった紅の髪が映えていた。今まで外套の中で身を縮めていた彼は、その雄偉な体躯を誇示するかのよう伸びあがり、御者席から跳躍する。跳躍と同時に御者席に横たえてあった彼が愛用する大剣が引き抜かれ、その獰猛なまでに巨大で研ぎ澄まされた刃を煌かす。3歩で間合いを詰めたラデュスは大剣を無造作に横に薙ぎ払い、一気に二人を打ち倒した。
いったい何が起こったのか判らないのは責められることではないかも知れない。エスクの減らず口が聞こえたかと思うと隊長が倒れ、目の前に巨漢の騎士が大剣を振るって飛び込んで来ていたのだから。
「ま、こういうのはごまかすより片付けとかないとな。後で面倒な事になるのは間違いないし」
敵の隊長を屠ったあと、エスクはてくてくと馬車に戻って中にいるカシスに向かって、そんな事を言った。そして中に入るまでもなく、扉に身を持たせかけてラデュスの演じる活劇を見物する事に決めこんだ。
(どおれ、クォーダ最強の騎士として名高い近衛右翼大隊長のお手並みを拝見させていただこうかね)
一方、ようやく出番を得たラデュスは、瞬く間に2人を屠り彼は次なる獲物に向かっていた。彼の強さの所以としてまず挙げられるのが、その”もう一つの馬並み”と称される脚力であろう。その卓越した脚力による大剣の攻撃範囲まで間合いを詰め、間合いに入った後も踏み込んだ脚のバネが膂力や腕力に加えられ大剣の鋭い剣閃となって敵を襲うのである。
“千塔の鴉”たちは、不意を突かれた上に指揮者を失っていたためもあり3人目が倒されるまで彼らはほとんど無抵抗であったが、さすがに4人目は抵抗を示して剣を抜いた。が、それは全くの無駄な抵抗であったことは、その剣では到底を防ぐ事が出来ず剣ごと頭を割られた屍が証明していた。
さすがに5人目は4人目が倒される前に短剣を抜いてラデュスに向かって投じた。
「間合いを空けろ!! 魔導で殺れ!」
一人がそう叫ぶ。もはや接近戦で手におえる相手ではない事を悟っていた。
「させねぇ」
ラデュスは飛び退る残りの魔導師たちの後ろから追いすがるが、残った4人のうち一人が身を呈してラデュスの突進を封じた。”6人目”は自分からラデュスの大剣の切っ先に身を投じ、深々とその身を串刺しにされる事で仲間が間合いを空ける時間を稼いだのである。
(ちっ)
ラデュスは剣にかかる死体の重みに舌打ちしながら、死体を蹴り上げ引き離そうとする。しかし、その間に残る3人はラデュスの攻撃範囲からその身を退避させることに成功してしまっていた。
3人はそれぞれ杖を構え、その杖の先に魔導の光を集中させていく。彼らが発動させようとしているのは、ごく初歩の攻撃魔導で”魔炎”の術式だ。拳大の炎で敵を撃つこの技は、次の段階の”爆炎”のような致死の魔導ではないが、術を完成させるまでの時間が短く済み、丁度今のような状況で敵にダメージを与えるのに適した技である。それに3人で一斉に攻撃すればさすがに殺す事も可能であろう。
「やべ」
一部始終を見物していたエスクは素早く馬車に手を突っ込んで、大門の所で装填したままにしてある小銃を取った。
「ていっ!!」
最悪、ラデュスにさえ当たらなければいいと思っている。だいたい、”鴉”どものあたりに弾がいけばいい。銃声で魔導師たちの集中力を乱せれば御んの字だ。
ほとんど狙いも付けずに、エスクは引き金を引いた。
銃声。
と同時に、いきなり3人の胸元にそれぞれ一つずつ、人の頭ほどの大きさの炎が撃ち込まれ、炸裂した。
「はぁっ?」
とは撃った本人。明らかに銃弾の仕業ではない吹き飛んでバラバラになった3人の体が四散するのを、エスクは何かの悪い冗談のように眺めていた。
「間に合った!!」
女の声がした。
夜明け前の暗がりの中、ラデュスの目の前に黒い霧が凝縮していくような現われ方をしたのは、ネフィルの現在の流行色である薄紫をあしらったトーガドレスに身を包んだ、見るからに派手な印象を与える女であった。よく見ると髪や口紅も同系統の色でまとめている凝りように、エスクは少し感心した。
ある意味、下手をするとけばけばしさだけを感じさせかねない姿をしているが、彼女自身が目鼻立ちのはっきりとした豪奢な印象を与える美女であったので、それはとてもよく似合っていた。
(いい女だ)
「ゲルダ」
大剣に滴った血を振り払いながら、ラデュスはその者の名を呼んだ。
「ヨシュクもいるわ」
と女が自分の方を指差したのでエスクは、まったく初対面の女に指差されて思わず動揺するエスク。にもかかわらず(は? もしかすると、俺はそんな名前だったか)などという、馬鹿馬鹿しい考えを浮かべるあたり、この男の精神構造は奇妙だ。
「うわっ!!」
エスクの傍らには気配もまったく感じさせぬまま、クォーダの士官服らしい白を基調とした堅苦しい服に身を固めた男が立っていたのである。ゲルダが指差したのはこちらであった。
不気味な男だ、とエスクは思った。顔のことを言うのであれば、エスクは他人の事をあまり言えた義理でない事を自覚している。不気味なのは容姿の問題ではなかった。顔から言えば、若々しい整った顔立ちをしておりエスクなどより余程一般受けのする容貌を持っていた。しかし、その姿には驚くほどに存在感なく、その顔にはほどに感情が見当たらなかった。ヨシュクと呼ばれた年の頃は十代後半か二十代前半に見える青年は、とぼとぼと猫背気味にゲルダの方に歩いてエスクを離れて行った。その目はゲルダ以外何も映してはいなかった。
「エディウス卿の命を受け、カシス様の脱出行をお手伝いしろって言われたの。それで、公子宮の方へ向かってすれ違いで……。とにかく見つかってよかった」
ラデュスに向かいゲルダ。その下へヨシュクと呼ばれた男は歩きつき、無言のままゲルダの背後に控えた。
「そうか、いい所に来てくれた。助かったよ、この辺りにもう魔導師どもの気配は?」
「ないわ。もう結界の外にも出たようだし」
ラウルのネフィル、コーネルの”楽土(シャンバール)”など大国の首都クラスの都市には、魔導師たちの諜報活動やテロを防止するため、魔導力を弱体化させる結界が張られて類のが常だ。また魔導力の気配を察知し、どこでどのような術が使われたのか捉える機能を持った結界すら大国になると保有している。
魔導師たちが、郊外に出てからカシスたちを捕捉しようとした理由の一つはそれだったろう。結界は自分たちの力すら弱体化させてしまうのだ。
「そうか」
ラデュスは大きく息を吐いて緊張を解く。
「それでカシス様は?」
「ああ、大丈夫。無事だ」
ラデュスとゲルダは馬車のほうに向かう。と、思い出したようにエスクの方を見て、ラデュスに尋ねた。
「そうだ、ラデュス。この方は?」
「……と」
しかし、説明に困る。
「エスク・ガノブレード。ラウルのクルーネア修士館の修士で、カシスの個人的な軍師ってところだ」
ラデュスの戸惑いも当然だとして、エスクは自分を名乗るが。一方でこれでは余計に不審を煽るだけかも知れないと承知しつつ、相手の反応を楽しみに待っている。
「カシス様の……?」
明らかに胡乱げな顔でエスクを見るゲルダ。
「まあ、そういう事です」
と、それに応えたのはカシスだった。さしもの彼も中に閉じ込められ、押し込まれ状態続きで息苦しかったのだろう。これ幸いと馬車の中から姿を現わす。それを見て、ゲルダが跪いてカシスに礼を捧げる。それにヨシュクは無言で続く。
「カシス様。魔導統監ゲルダ・クルザード、宰相エディウス卿の御命により参りました。クォーダまでの道中、ヨシュクともども同道させていただきます」
「うん、ありがとう。クォーダに辿り着くまで何とか助けてほしい」
「はい。お任せ下さい」
と一連の略式だか儀礼を終えるとカシスは改めてエスクをゲルダたちに紹介しようとする。
「この人は修士館の時からお世話になっている人で、決して怪しい人では……、ありますけど」
カシスは正直だった。
「えーと悪い人……、ですけど。決して害は……ないとは言えませんし……」
「カシス……。もう、よしてくれ」
そこまで言わせたところでエスクがカシスを止める。不本意ではあるがまったく正しいカシスの発言を否定をしなかったのは、せめてもの彼の良心だったかも知れない。
後ろでパルティアやラデュスがどんな顔をしているかが想像できるあたりが居たたまれなかった。
「ま、カシスにノコノコ付いて来た怪しい奴で構わんからさ。役に立たないって事もないんで、よろしくお願いするわ」
「承知しました」
と、ゲルダ。言葉では納得しているようではあるが、エスクを見るその目はまったくをもって信用していない事を彼に向かって当て付けていた。
そしてエスクはエスクでゲルダに信用されなくても別に構わないという事を誇示するかのように、それが美女に対する礼儀だとしているのか、いつもの変にイヤらしく見える面付きでニヤリと笑いかけた。そしてその笑いはゲルダの視線をますます険悪にしていく劇的効果をもたらした。
「ゲルダ、あまり気にするなよ。コイツに合わせてると、お前だけが疲れることになるぞ」
2人の膠着を解くように口を挟んだのはラデュスである。
「まったくだ」
と悪びれもせずに言ってのけるのがエスクという男であった。
「そろそろ夜が明ける。先を急ごう」
ラデュスはゲルダを促し、エスクも改めて軽口を叩き合っている場合でない事を思い出した。そして、馬車に戻ろうとしたとき、彼は傍らのカシスが先ほどからも黙ったまま、ある一方向を見つめていた事に気がついた。
「ん? カシスどうした」
「エスクさん。見てください、ネフィルが夜明けの光に沈んで……」
カシスの視線の先には彼らが後ににし、これから捨てようとしているネフィルの荘厳たる威容があった。城壁と塔が象る雄大な”千の塔の街”は、夜明けの薄明かりによって薄紫色に映えて現実感を喪失した幻想的な姿に演出されていた。雪の白と夜明け前の薄闇を背景に、蜃気楼のようにネフィルは茫洋と
(なんか、ロクでもない思い出ばっかりがあるような気がするが……)
「綺麗な街だな」
ぼそりとエスクは呟いた。
(僕にとっては、牢獄のように思えた街だったけれど……)
「ですね」
ぽつりとカシスは応えた。
そのまま、二人はさほど長くもない時間、ネフィルを見つめつづけていた。そんな二人をパルティア、ラデュス、ゲルダはあえて声もかけぬままにしておいた。
(いろんな事があり、いろんな奴がいた。修士館の奴ら、遊んだ女たち、一度は本気になったあの娘……カチュア、ただ一人俺を認めてくれていたツォン……。だが……、どうやら俺の未来は、ここにはないようだよ。未来は……)
その視線は傍らの少年に向けられた。
「行こう、カシス」
「ええ」
エスクはカシスを促し、馬車へと向かった。
終始、二人は無言のまま馬車にその姿は消えて、間もなくクォーダへと再び馬車は走り出していった。
走り去ったあと、二人が立っていた跡は暫く残り、やがて、降り続ける雪の中に埋もれていった。
第一章 雪国の王子 了 PR
無題
12年ぶりですので見つけたときはとても嬉しかったです。続きを楽しみに待っています。
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続きマジ期待してます
自分もpixivにカシくん絵アップしましたー。
お話の続き読み切るまで死ねないっす。
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